1人読書会:「極夜行」角幡唯介:犬が死ななくて良かった&探検とは自傷行為ではないかという推察

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単純に冒険物、エンタメとして読んでいたら純粋に「面白かった!」となってたと思うけども
「心理療法そのもの」というレビューを見て期待値高く読み始めてしまったので、「そうなん?」という感想。

 
読むきっかけになったのはこちらの臨床心理家 東畑 開人さんのtwitter.


東畑開人さんのtwitterより:
「角幡唯介「極夜行」もの凄い。北極の太陽が上らない極夜を旅した本なのだけど、地理を探検するのではなく、心の中を探検しているという究極の心理主義が展開されてます。暗闇の中何度も探検の意味を語り直そうとした挙句、意味が繋がってく終盤は心理療法そのものです。心理士はこれは必読ではないか。」
そもそも”極夜”なんて言葉知らなかったし、
極夜の中を旅したくなるという気持ちも分からないし、
大体旅って何だっけ?
知らない土地を移動すること?住んでる場所を離れること?
探検とか登山も、行くのが大変な場所に行くのが大事なの?
そこに現地人が住んでたりしたら、外部の人間がそこに行って苦しんだり感動したり、ってことに何か意味があるの?
と、否定するつもりは無いけど、ただただ疑問に思ってしまう。
自分が旅行するときも「わー素敵!」「わーすごい!初めて見たー!」なんて言いつつ、
そこには普通に生活している人が居て、自分は外から突然やってきて騒いでるだけだと思うと、
「これに何の意味が・・・?」と思ってしまう。旅行きたいけど。
”自分が”単純に行ってみたい、見てみたい、という範囲であれば別にそうしたら良いと思うのだけど、
そこに社会的な意味付けとか人類的な意味付けや感動が入ってくると違和感を感じるのかもしれない。
本自体はとても面白く、「俺、ベガって好きだなあ」みたいなのはツボって読むの楽しかったんだけど
嵐で苦労したり、なんやかんやの苦労描写や脱システムを目指している所では
「結局のところ現代人て暇なんだな」と思ってしまう。
だって必然性のない苦労だもの。わざわざ自分で選び取ってる苦悩。
そう考えると、
探検とか過酷な旅は自傷行為の一種な気がしてくる。
生きてる実感を得るために自分を傷つける人たち。
であればリストカットする人や過労死するまで働く人の自伝的ノンフィクション(そういうものが存在するかは知らないけど)も
同じように評価されないといけないだろうに、
この位置付けの差はなんだ。
片方は職業なり生き方なりで、片方は病気であったり哀れまれる人だったり。
「職業はリストカッターです!」とでも自称したらいいんじゃないか。
スポンサー探したり。
そんなことばかり考えながら読んでいた。
読み終わって一番の感想は、”犬が死ななくて良かった”。
猫派だけど、犬も大事(人間はどうでも)。
さっき再度臨床心理家 東畑開人さんのtwitterを見て、
そうなのかなあ、分からないなあ、そこまで良いのかなあ、と思ってたら(ここは角幡氏風味の文体?割と影響されるw)
ブログがあって、
その中で”なぜこれほどの旅で、こんなに陳腐な洞察なのか?”とあって、笑った。少し納得も。
本も素晴らしいし、陳腐さ自体も貶している訳ではなく、大冒険をして自分の深層を探りながらも
結論としては(人は)普遍的なところに落ち着く、という発見があったということなのかと。
そのブログはこちら:東京港区の白金高輪カウンセリングルーム: 物語と極夜
https://stc-room.blogspot.com/2018/04/blog-post_25.html
あと思いつくままに感想は、
– 冒頭の出産シーンは読んでて苦痛だった。理性のハズれた本能全開な人を見るのが苦痛なんだと自覚。
– 犬ぞりって犬かわいそう、と思ってたが、犬が生きていくためにそれを選び取ってきたというのは知れて良かった。では仕方ない。
– 情景描写は細かいが、知らない場所のことは想像出来ないので写真が欲しかった。NHKで番組があったと後で知って、そういうことね、と納得。
– 昔、南極物語のマンガ本読んだなー。クレバスに犬が落ちて死んだり、みんなでワンワン氷の上走り回ったり、断片的にしか覚えていないけど、そのせいで氷の世界は辛い印象。
– 東京タワーの入り口にはタロとジロの銅像があったような。たまに通るけどちゃんと見てないな。南極物語ってどんな話だっけな。
– 角幡氏の犬も、目がキラキラ大きい、南極物語のマンガ本の犬のイメージで脳内再現されてた。狼ぽくはない。
– カタカナ書きの長い地名、犬名は覚えられない。
いつも以上に書きたい事があったので、やはり面白い本だし、考えさせられる本だったのだと思う。

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